やっべ小説書きてえ


今日は14時間も寝てしまって全く今から眠れる気がしないよう。
1時就寝→11時起床、朝食→12時就寝→16時起床


マゾヒストマジニート
マゾヒストマジニート
大事な事だから二回言うよ。



で、積んであるラノベがこれかあ…。
まあこのブログを読むような人がラノベを読むとも思えんし、よりによって今更③を読んでいるような話題遅れなぞ俺ひとりで充分なのでネタバレするけど今回はケータイ小説が出て来たよっと。
うわー、きついね。俺からしてみればケータイ小説なんてものは小説どころか文学にもカテゴライズされないのだけれども。
とはいえ、手に取ったこのラノベも俺の中では、御多分に洩れずケータイ小説同様、文学にカテゴライズされるかという点において言えば多少怪しいとも思う。
俺の中ではラノベの本格的な台頭は90年代と思っていて、それはやはりアニメを主としたオタク系サブカルの台頭と重なる面はあるように思う。
対してケータイ小説は文字通りケータイの普及、特に10代20代への普及と共に、つまりは00年代に表舞台に姿を見せるようになったように思う。
この差を簡単に捉えれば、たった10年だ、乱暴過ぎるようには思うが。
文学史における10年なんて、大したものではないんだ。
俺の好きな私小説だって出た当初は色々言われていたのだから。


俺は生理的な感覚でケータイ小説を嫌う(それはゎとか顔文字の多用とか文法的な誤りとか多くの理由があるのだけれど)けど、ソレの主な読者層から見ればラノベも別の観点から嫌われる代物だ。
俺は中学の時からラノベを読んでいた(一時期読まない時期もあった)からそちらの方に特別な感情があり、擁護するのだろう、という反論は甘んじて受ける。
しかしながらどうにもそのケータイ小説に対する忌避感てのは拭い難いもので、それは多分、ラノベ以前に一般的な文学をある程度読んだことのある人間なら理解できるものだと思う。
結局、俺はケータイ小説を読まず嫌いのままだ。
読んでもいない癖にそれを批判するのはどうかとも思うが、やはりそれだけ嫌いだという事なんだろう。だから、もし誰かにそれを指摘されればそれに対しては頷かざるを得ないだろう。俺の精神状態によっては「そもそも読む価値がない」で切り捨てる事もあるだろうけどねw
今回の作品では、そのケータイ小説に関する著者(若しくは、そして? ラノベ読者)の様々な思い、考えだとかを著者自身がメタフィクション的ガジェットを用いて表明した感じに思える。どちらがどちらの、とは言えないけど、この作者さん自体はあとがきとかを読む限り、ケータイ小説に対する否定的な考えとかはあまり持っていなさそうに思えるけれど(実際は嫌っているに決まっているじゃないか、とか本当は…とかいうクズな考えを一瞬でも起こした俺みたいなクズは自殺した方が良いんじゃないかな、色々捗るよ、まあ確かに例えそんな事を考えていたとしてもここには載る訳がないんだがw)。そもそも、キモオタばっかが読んでるようなラノベ(これは偏見ですね、最近は色々読んでる人も増えてるみたいだし)にこれを登場させたってのはすごい勇気だと思う。作品の本質が、ケータイ小説についての印象が人によって違うせいで、多少評価もばらつきのある感じになってしまっているように思えるけれど、俺としてはこれはそれなりに面白く読めた。
加えて、中二病云々とかそこら辺も俺にとっては考えるところが多かったし、小説を書く人にとっては案外思うところもあるかも。
幼馴染みについてやはり思うのは、やはりオタクの需要ってのがあるのかも知れないね。こういうの好きだし、オタクって、まあ俺も好きだけど。それと対照的な桐乃(対外的に見れば)の内面がオタクっていうのが何とも言えないバランスでできているように思う。オタクではあるが多くのオタクとは違って才能があり、その他多くの魅力を努力でしっかりと保ち続ける。今の所は性格最悪だけどw
それにしても主人公は、何と言うか本当に人が良すぎるな。前も思ったけど。


某効率主義者曰く、「ケータイ小説ラノベも同じ」だとさ。まあ俺も実際広い目から見たら両方ともまともな文学とは思わないんだけどね。ひとつの「文化」ではあるけれども。
多分最後まで買うんじゃないかな、何だかんだで。