旧い事

足摺岬 (講談社文芸文庫)

足摺岬 (講談社文芸文庫)

多分自分の絶望なんか、他人の絶望に比べれば大した事のない些末なものなのだろう。
どうしようもない屑のくせに、人間めいた感傷を抱くのは多分人間になりたいからだろうか。
足摺岬


最近の小説は個人的には好きだが、やはり昭和という時代に生まれた作品というのは確実にそれらとは一線を画すものであるように思える。
田宮虎彦は1988年に自殺した作家である。
氏の作品は恐らく私小説に近いものであるだろう。
この作品集に描かれている多くの作品に登場する、主人公や彼を忌み嫌う父親とは、ほぼ氏とその父親を意識したものであると言って疑いがないように思う。

人によってその嗜好はほぼ確実に二分されるであろうが、私は私小説が好きだ。
特に三浦哲郎に至っては崇拝と言っても良い程だと思う。
多分人間の苦しみや喜びがより鮮明に感じる事が出来るからだろう。
この作品集では、ほぼ全ての主人公が極限まで追い詰められた状況に生きている。
それは恐らく救いようがなく、主人公もそれを理解してなおその状況を受け入れるのだ。
作品は所々で、繋がっている。
表題作『足摺岬』では、『絵本』や『菊坂』の世界に登場する「私」と、『落城』の世界に登場した実在しない架空の藩、黒菅藩の残党である「遍路」が出会う。
彼らの精神性は共通しており、また他の『霧の中』に登場する荘十郎も同じと言えるだろう。
破滅しか残されていない人生に何を求めるのか。
自暴自棄に何もかもを投げ出す事もせず、ただそれでも生きているのだ。
その強さは、恐らく現代の日本人にはない。
だから私はそれを美しいと思うのだろう。

この作品集の中では、やはり表題作『足摺岬』が一番素晴らしいと思った。
次に『絵本』。
氏の他の作品も読まなければ。

つくづく、文章力がないと実感する。
書評なんて期待されていないし出来るとも思っていないが、どうにもこれでは、折角の名著を穢しているような気さえする。
だが、この記録は自身の感動や落胆、その時抱いた所感を忘れないように残す為のものであるのだからそれで良いような気もする。勿論、これを読んでその作品に興味を抱いてくれればまたそれも良し。

これは1週間前に読了しているのだが、それでも書こうと思ったのは多分感動の度合いが大きかったからだと思う。
明日も本を読もう。
そして、こうして書く事にまた慣れていって小説を書こう。
先輩方の批評を聴けるのもあと少しなんだから。
そして俺が作品を出せるのも、恐らくあと2年。
やれる事からやろうか。