時代

蟹工船・党生活者 (新潮文庫)

蟹工船・党生活者 (新潮文庫)

時代がそうであったように、彼らもまたそうあった。
理想世界の青写真は惨めに色褪せて。
蟹工船・党生活者』
凄い今更感。
まあ今まで積んでいた本を適当に選んでいればこういうのにも当たる。
自分としては『党生活者』の方が作品としては好き。
革命に一生涯を投じた者の観念については笠井潔の作品でもあったけどそれはまたいつかの話。
笠原という一人の女に対する描き方が、共感できる訳では全くないけど好き。
笠原という、結局は『革命に共感し得ない者』を象徴的に表した存在との間に、ついに極限状況において現出した明確な間隙に対し「私」はどうしようもないし、それに対して結局はそれを仕方ないとして断じ離れてゆく事しか出来ない。
そうして最後に彼の胡坐に抱いてやる事しか出来ない彼女の姿ってのは当然のように哀れを誘うもので。

そうして、やはり真の革命の闘士は家族すら投げ打って革命の渦へとその身を投じるのだ。

しかし、共産主義の完全なる敗北を通過した現代を生きる自分にとって、この作品に横たわっている観念が自身の内奥で日々出題され続ける思想命題に挙がる事は恐らくないだろう。

一つ確実な事として言えるとすれば、革命の在り方は変わり、その変革を成し遂げようとする革命の闘士はその姿を変える。
小林多喜二の時代は1933年で終わり、彼らを虐殺した大日本帝国は1945年に敗北し、その後の日本という国が隷属したアメリカと世界を二分して争ったソ連は1991年に崩壊した。そして2010年の世界においては、そのソ連と道を異にした中国が台頭し始めている。
小林多喜二という存在は、歴史であっても時代ではありえない。
彼という存在は変わらないが、時代は日々変わりゆく。
つまりはそういう事だろう。